大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和62年(ワ)3960号 判決

原告

服部完宏

右訴訟代理人弁護士

立岡亘

後藤昭樹

太田博之

被告

吉沢清一

市川美津子

高橋祥子

市川悟郎

市川涼子

被告ら訴訟代理人弁護士

在間正史

伊藤道子

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

一被告吉沢清一(以下、被告吉沢という。)は、原告に対し、別紙建物目録記載一の建物(以下、本件第一建物という。)を収去して、別紙土地目録記載一の土地(以下、本件土地という。)を明け渡し、かつ、昭和六二年一〇月一日以降、右明渡済みに至るまで一か月金二八万五〇〇〇円の割合による金員を支払え。

二被告市川美津子、同高橋祥子、同市川悟郎、同市川涼子(以下、被告市川らという。)は、各自原告に対し、別紙建物目録記載二の建物(以下、本件第二建物という。)を収去して、別紙土地目録記載二の土地(以下、本件土地西側部分という。)を明け渡し、かつ、昭和六二年一二月二日以降、右明渡済みに至るまで一か月金七万六〇〇〇円の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一争いのない事実

1  亡服部かん(以下、かんという。)は、被告吉沢に対し、昭和二五年頃、本件土地を、普通建物所有を目的として期間の定めなく貸し渡し、被告吉沢は、かんに対し、同土地に賦課される税金額相当の金員を支払うことを約した(以下、本件貸借契約という。)。

2  昭和三二年五月二五日、かんは死亡し、原告、服部伸子、服部武夫、服部清人が共同相続し、昭和六二年一〇月二九日頃の遺産分割により、原告が本件土地を相続した。

3  被告吉沢は、本件土地のうちその西側部分を除く部分に、昭和二五年頃、本件第一建物を建築し、本件土地西側部分を、現在被告市川らに転貸して、本件土地を占有している。

4  亡市川雄三(以下、雄三という。)は、もと本件土地西側部分に本件第二建物を所有していたが、昭和六二年一二月二日に死亡し、被告市川らが相続した。

5  原告は、前記2記載のかんの相続人らを代表して、被告吉沢に対し、昭和六二年九月一七日、地代の支払いの遅滞及び地代増額の拒否などによる信頼関係の破壊を理由として、本件貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

6  原告は、被告吉沢に対し、昭和六三年七月六日、本件貸借契約が使用貸借契約とすれば、契約に定めた目的に従った使用をなすに足るべき期間を経過したので本件土地の返還を請求する旨の意思表示をした。

二訴訟物及び争点

1  被告吉沢に対する請求関係

(一) 原告は、被告吉沢に対し、本件土地の賃貸借契約または使用貸借契約の終了に基づき(両者は選択的請求)、その明渡しと、明渡済みまでの損害金の支払いを求める。

(二) 被告吉沢は、争いのない事実5及び6の各意思表示の効力を争う。

2  被告市川らに対する請求関係

(一) 原告は、被告市川らに対し、本件土地(西側部分)の所有権に基づき、その明渡しと、明渡済みまでの損害金の支払いを求める。

(二) 被告市川らは、被告吉沢の賃借権(使用借権については被告市川らの援用しない原告に不利益な陳述となる。)及びかんの承諾に基づく日出男の転借と雄三への転借権の譲渡に基づく占有を主張する外、本件土地に対する賃借権の時効取得を主張する。

(三) 被告吉沢の占有権限に関する争点は右1と同じである。

第三争点に対する判断

一(本件貸借契約の性質について)

1  (本件貸借契約の締結の経緯)

被告吉沢は、昭和二五年頃、建設会社牛田組に勤務し、名古屋市の北保健所の建設工事に従事していた。原告の父である服部皇(以下、皇という。)は、その頃、名古屋市の衛生局に勤務しており、視察で右の工事現場を訪れ、被告吉沢と親しくなった。

かんは、皇の妻てつよの実母であり、皇の養母でもあったが、右の当時、本件土地及びその周辺の一帯の土地を畑として所有していた。

被告吉沢は、当時借家に、実姉及びその子と住んでいたが、皇と親しくなるにつれて右の事情を知り、皇に対し、居住用建物を建築するための土地の借用方を頼み、その紹介でかんに会った。

被告吉沢は、かんとの間で、期間の定めなく被告吉沢の居住用建物を建築する目的で本件土地を借り受けることを口頭で約した。その際、地代については無償でよいとのことであったが、数日後、被告吉沢は只で借りるのではいけないと思い、皇に相談したところ、税金を支払うにも困っているとのことであったので、本件土地に賦課される税金額に相当する金額を地代として支払うことを約した。

地代の定めが右のように決定されたのは、当時皇が被告吉沢に対して好感を持っていたことの外、かんは既に高齢で体力的に弱ってきていて畑を耕作するのが大変であったので、本件土地を宅地として貸すが、土地を維持していくための税金と、先祖に申し訳をたてるためにわずかでも先祖の供養として、お経の一つでも、線香の一本でも上げられる分があればよいと考えていたことによるものである。

(証人服部皇、被告吉沢)

2  (本件貸借契約締結後の経過)

被告吉沢は、本件貸借契約から約半年後に本件土地のうちその西側部分を除く部分に本件第一建物を建築した。被告吉沢は、本件土地に賦課される税金額について、これをかんまたは皇に尋ねて、あるいは自ら役所に赴いて税金額を確認するなどして、税金額にほぼ相当する金額を地代として支払い、税金額が増加した場合には、それに応じて地代を納めていた。

(証人服部皇、被告吉沢)

3  以上の事実によれば、かんと被告吉沢との間では、昭和二五年頃、被告吉沢がその居住用の建物を所有する目的で、期間の定めのない使用貸借契約(以下、本件使用貸借契約という。)が締結されたものと認められる。

被告らは、本件土地の利用契約は、それにかかる税金額に相当する金員を賃料とした賃貸借契約であると主張する。

しかし、本件貸借契約が賃貸借契約と認められるためには、右地代が本件土地の利用の対価としての性格を有していなければならないが、貸借目的土地に賦課される租税はその通常の必要費に過ぎず(民法五九五条一項参照)、しかも本件貸借契約は当初は無償とすることとされていたものが、被告吉沢からの申し出により、税金相当額を支払うことになったものであることからしても、右地代が本件土地の利用の対価としての性格を有していたものとは認められない。

二(本件使用貸借契約の解除について)

1  原告が昭和六二年九月一七日にした意思表示は、賃貸借契約の解除としてなされたものではあるが、本件貸借契約の法的性質が使用貸借契約とされれば、原告にはそれを解約する意思は存したものと認められるので、この解除の有効性について判断する。

2  かんは、昭和三二年に死亡し、原告らが共同相続したが、その後も本件土地の管理は皇が行っており、その地代も、皇あるいはその妻である服部てつよが受領していた。

原告は、昭和五三、四年頃から本件土地及びその他の貸地(約三〇件)の管理や地代の徴収を行うようになったが、皇から引継ぎを受けた際、本件土地に関する地代を税金相当額とする合意のあったことの説明は受けなかった。

原告は、被告吉沢から昭和五三年末に同年分の地代一二万円(一坪当たり月額約一一六円)の支払いを受け、本件土地の地代が他の貸地と比べて格段に安いと感じ、他と同程度の水準の地代にすべきものと考えた。

原告は、被告吉沢に対し、昭和五四年分の地代を一坪当たり月額八五〇円に増額する旨の要求をした。しかし、被告吉沢は、その後、昭和五三年分と同額の地代一二万円を原告に支払った。

原告は、昭和五五年に貸地全体の同年分の地代について、内容証明郵便で増額の請求をし、本件土地については、一坪当たり月額一〇〇〇円に増額することを請求した。

被告吉沢は、一〇〇〇円への増額は高すぎるとして話し合いを申し入れる趣旨の手紙を出した上、昭和五五年一二月に同年分の地代として二一万円(一坪当たり月額約二〇三円)を支払い、翌五六年も同額を支払い、いずれも原告に受領された。

翌五七年一二月には、被告吉沢は、原告と共に区役所へ赴き、課税台帳を閲覧して税額を確認の上、それを若干上回る二二万円を支払った。

同五八年一二月には、被告吉沢は、原告に対して二二万円を提供したが受領を拒絶され、被告吉沢は供託の準備をしたが、供託をするとただ同然で貸してもらった貸主に対し正面きって争うような気がして思い止まった。

同五九年一二月は、前年分と併せて四四万円を提供し、原告に受領された。

同六〇年には、本件土地に対する課税額を若干上回る三一万円(一坪当たり月額約三〇〇円)を持参したが、原告に受領を拒絶され自宅の金庫にそのまま保管しておいた。

同六一年にも被告吉沢は、三一万円を持参したが、原告に受領されなかったので、いつでも支払うことができるようにする趣旨で、瀬戸信用金庫恵方支店に被告吉沢名義の普通預金口座を開設し、これに前年分と併せて預金した。

以上のような経過を経て、同六二年九月一七日、原告代理人立岡弁護士から被告吉沢に対し、内容証明郵便で、地代の支払いが遅滞しており、その供託もされていないこと及び地代の相応な増額請求に対し被告吉沢は誠意のある賃借人の態度をとらず契約を維持していくだけの信頼関係がない、との趣旨で本件貸借契約を解除する旨の通知があり、被告吉沢は裁判になると思い、同月三〇日、前記預金を引き出して供託した。

(〈証拠〉)

3  (解除の効力)

使用貸借契約は、対価を徴しないで目的物を使用させるものであり、対価関係のある賃貸借契約の場合に比べ、貸主と借主との間にはより強い信頼関係が存することが契約の基礎となっているものであり、このことから、借主において契約で定められた用法の違反がある場合には、催告を要せず、契約を解除することができるものとされているのである(民法五九四条三項)。したがって、借主において、使用貸借契約上の債務の不履行があり、あるいは厳密には借主の債務に当たらない場合であってもそれに信義則上付随する義務の不履行があり、これによって貸主、借主間の信頼関係を著しく破壊したと認められる場合には、民法五九四条三項を類推して、貸主に契約解除権が発生するものと解される。

そこで本件における原告の解除権の有無について検討するに、本件では、本件使用貸借契約における地代の定めに関する経緯を知らなかった原告が、被告吉沢に対し、賃貸借契約並みの地代への増額を求めて請求したものに対し、被告吉沢が地代に関する約定を理由に拒絶し、従前の地代あるいは約旨に則った地代を提供し続け、最終的に受領を拒絶され、契約を解除されたという事案である。

そして、被告吉沢は、昭和六〇年と六一年分の地代について契約解除の意思表示前に供託をしていないが、これは、供託をすると、原告との間で殊更に争うこととなるという意識からこれを避け、何時でも支払いができるよう預金しておいたというものであり、被告吉沢の右所為が原告との間の信頼関係を著しく破壊するものとは認められない。

また、地代増額の要求に対する被告吉沢の対応についても、本件使用貸借契約における地代に関する約定を知らなかった原告としては不満の生じるものであったとしても、同約定からすれば、被告吉沢において契約に信義則上付随する義務の不履行があったとは認められない。

したがって、昭和六二年九月一七日の原告による本件使用貸借契約の解除の意思表示は無効である。

三(本件使用貸借契約の解約告知について)

1  さきに認定したとおり、本件土地の利用契約は、借主の居住用の建物を所有する目的の期間の定めのない使用貸借契約であり、同目的に照らし使用をなすに足りるべき期間を経過したものとすれば、原告は民法五九七条二項但書に基づき解約告知することができる。

2  確かに、本件使用貸借契約が締結されてから、原告の解約告知までに約三八年間が経過しており、これは期間の定めのない非堅固建物所有目的の賃貸借契約について定めた借地法二条による法定存続期間三〇年をも上回るものである。

しかしながら、借主の居住用建物の所有を目的とする使用貸借契約において、契約に基づき建築された建物が存続し、それに借主が居住している場合には、使用貸借契約が一時の利用目的で締結されたとか、借主が他に居住可能な建物あるいは土地を所有するに至ったなどの特別の事情がない限り、契約に定めた目的に従った使用をなすに足りるべき期間を経過したものとは認められない。

本件においては、被告吉沢は現在も本件第一建物を所有して居住しているものであり、右に述べたような特別の事情も認められないから、契約に定めた目的に従った使用をなすに足るべき期間が経過したものとは認められない。

したがって、昭和六三年七月六日の原告による本件使用貸借契約の解約告知の意思表示は無効である。

四(被告市川らに対する請求について)

1  市川日出男(以下、日出男という。)は、被告吉沢から、昭和二八年頃、建物所有を目的として、本件土地西側部分を賃借し、その上に本件第二建物を建築した。そして、日出男は、同三三年頃、雄三に対し、本件第二建物とともにその賃借権を譲り渡した(被告吉沢、同市川美津子)。

2  被告市川らは、右転貸について、かんの承諾を得たと主張し、被告吉沢の供述中には、これに副う部分があるが、〈証拠〉に照らして信用することができず、他に、右事実を認めるに足りる証拠はない。

3  右によれば、日出男ないし雄三の賃借権は原告に対抗することができない。

しかしながら、土地の使用借主から土地を賃借(転借)した転借人が、右転借につき使用貸主の承諾がなく、転借権をこれに対抗することができない場合においても、転借土地の継続的用益という外形的事実が存在し、かつこれが転借の意思に基づくことが客観的に表現されている場合には、民法一六三条により、同一六二条の区別に従い、当該土地につき使用貸主に対抗することのできる転借権を時効取得することができるものと解される。

そこで、次に、右各要件の充足性につき判断する。

4 雄三は、昭和三四年頃に兄日出男から本件第二建物を贈与され、以来、被告吉沢に対して本件西側の土地の地代を支払い続けた。

雄三は、昭和二八年頃から、父義男、母よ志え及び兄日出男とともに本件第二建物に居住し、「市川薬局」として営業をしていた。

本件第二建物については、建築確認が加藤作次郎名義で取得されていたこともあって、昭和二八年九月二一日、一旦同人名義で保存登記した後、同年一一月一八日、日出男に所有権移転登記を行ったが、同三三年一一月一七日に売買を原因として訴外奥田太郎(以下、奥田という。)名義に所有権移転登記が経由されている。同人は、市川義男の二女奥田朝子の夫であるが、日出男が東京に転居し、雄三が両親を扶養していくこととなった頃、当時義男に多額の債務があったことから、債権者の追求を免れる目的で行ったものであり、奥田は本件第二建物の近くに居住していたが同建物に居住したことはなく、その固定資産税も雄三においてその相当額を奥田に支払って納めてきたものであり、売買は通謀虚偽表示で登記名義を奥田にしたに過ぎない。奥田の相続人らは当初本訴において共同被告であったが、本年二月二日、当裁判所において、原告との間で、右相続人らが本件第二建物についてなんらの権利も有しないことを確認の上和解している。

被告市川美津子は昭和三七年三月二六日に婚姻し、本件第二建物において、亡雄三の父義男及び母よ志えと同居し、以来同建物に居住している。

(〈証拠〉)

5 右によれば、雄三が遅くとも昭和三四年頃以降、死亡に至るまで、本件第二建物を所有して本件土地の西側部分を継続して使用していたものであり、前記取得時効の要件のうち目的土地の継続的用益の事実が認められる。

また、被告吉沢と日出男との間で賃貸借契約が締結され、その後同賃借権が雄三に譲渡され、これに基づく賃料が継続的に支払われたこと、本件第二建物について、一旦前認定の経緯で加藤作次郎名義の所有権保存登記をし、その後前記のとおり所有権移転登記を経由したこと、さらにその中で雄三が市川薬局の営業を継続して行ってきたことからすれば、右継続的用益については、転借の意思に基づくことが客観的に表現されているものと認められる。

したがって、雄三は遅くとも昭和五四年頃には本件土地の西側部分に対して原告に対抗することのできる転借権(原告からの使用借主である被告吉沢からの賃借権)を時効により取得したものと認められる。そして、被告市川らは、この雄三の転借権を相続したので、これをもって原告に対抗することができる。

なお、被告市川らは、本件において、雄三が土地の所有者たる原告に対する直接の賃借権を時効により取得するとの主張をしている。しかしながら、それが認められるためには、土地所有者たるものから賃借する意思が客観的に表現されていることを要するところ、本件のように日出男ないし雄三と使用借主たる被告吉沢との間で賃貸借契約が締結、承継され、これに基づく賃料が同被告に対し継続して支払われている場合には、賃借の意思は使用借主たる被告吉沢に対するものに過ぎないから、右主張は失当である。

五以上の次第で、原告の被告吉沢に対する請求は、本件使用貸借契約の解除または解約告知の意思表示が無効であり、また、被告市川らに対する請求は、同被告らが被告吉沢からの転借権(賃借権)をもって原告に対抗することができることから、いずれも理由のないことに帰する。

(裁判官藤井敏明)

別紙〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例